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Twitterのはなし: それがどう「良い」か書くべき?

Twitterに音楽を投稿したり、料理を上げるとき、どんな言葉と一緒にアップしようかいつも悩む。

そして僕は大抵そこに、"良い曲"とか"美味しかった"とか当たり障りのない言葉をくっつけてアップするんだけど、たまにもっと細かいことを書くほうが良いのかな、と思うときがある。これじゃあ、語彙力が低すぎて、何にも伝わらないかな、なんて思って。

でも、"ジューシーな肉汁が溢れ出るようなハンバーグで、チーズが口の中でとろけて美味だった"とか、"ギターのカッティングが小気味よく、圧倒的なグルーヴを成している名曲"とか書くと、なんだかうーん、ちょっと違うかなという気持ちになる。

結局、Twitterのタイムラインってすごく私的なつぶやきが集まっていて、プライベートな空間と思いきや、総体としてはパブリック(公的)な場所だと僕は思う。だから、その場所での発言にどれくらいのカオスが許されるか、というのは少し考えなきゃいけないことのような気がする。

専門家なら、専門のことをいくらでも語っていいけれど(例えば、行政学者のTwitterなら豊洲問題とか森友学園について存分に書いて良いと思う)果たしてそれを一般の人がツイートしまくっている場合、どれくらいフォロワーさんはそれを期待しているのか、と考えてしまう。

パブリックなメディアであるなら、やっぱりその求められているものとそうじゃないものとの過度な乖離は避けなければいけないのかな、とも思う。

もちろん、Twitterは個人の自由な発言の場所だから、いくらでも好きなことを書いて良いのかもしれない。別に"肉汁が溢れ出るハンバーグ"のことや"グルーヴが効きまくっている音楽"のことをいくらでも、何度でも、書いて良いのかもしれない。

でも僕は、そういう類のことは割とブログに書くようにしているし(Twitterはタイムラインだから意図せず見てしまうこともあるだろうけれど、ブログは見たいという意思が無ければ基本的にクリックしないはずだから)だからこそブログでは好きなことを長々とイライラさせるくらい書いても良いのかな、と思っているのだ。

黙って好きなことを書くのが、結局一番楽だし、楽しい。それは分かっている。

でも、Twitterに何かを書くってそういうイメージ、という固定観念がどうも上手く離れないのだ。